風義ブログBLOG

2014.07.06
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星に、願いを。

新学期がはじまり3ヶ月。親子共々疲れがピークに達していることだと思います。今日は、先週受講した「教育する家族」講義から、一部ご案内します。

“教育する家族”の出現は大正期(1910年代)、都市の新中間層(専門職・官吏・その他の俸給生活者のこと 全体の10%程度割合)のあいだで、「家庭こそが子どもの教育に第一に責任を負うべきだ」という考えかたが現れました。この層は学校教育制度を立身出世をとげる契機としてとても大切だと期待が高かったようです。

一方で、旧中間層(農民・都市の商工自営層 全体の90%程度の割合)や貧困層は、家族として子どもの教育に関心を払うゆとりをもたず、学校そのものの価値が不明だったためその必要も感じておらず、農村では地域共同体(年齢階梯集団・親族集団・近隣集団)が村での生活作法や行動規範(掟)を村童に叩き込む役割を担いました。また、この層は学校教育制度への期待もさほど高くなく、子どもの教育の担い手は地域共同体。地域によっては労働力を奪う学校を焼き討ちしたところもあるようです。

それでは「教育する家族」はいつ頃から広がったのでしょう。それらは、高度経済成長期の産業構造・就業構造の急速な転換(被用者になること)によって勉強重視の教育方針(学歴主義)に向けて全階層で均質化が進んだことが、1968年に大阪府で実施された母親の教育態度に関する調査で確認できます。地域共同体が解体され近代家族の大衆化と平行し、家庭が子どもの教育に重大な責任をもつべきだという考えが全階層へ普及したのはこのころから。しかし、貧困や病気、親の離婚・別居・不和など”家族としての機能不全”が引き起こす問題と、過剰な母子密着、育児不安による虐待、過保護、過干渉、過度の進学熱など”家族としての機能過剰”が引き起こす問題と2種類の相反する問題が出てきました。

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★梅づけ作りのお手伝い

教育する家族がすばらしいという考えはあることはわかりましたが、実際はどうなんでしょう?。家族が教育をしっかりしろと言われてもどうすればいいのかわからない家族も出て来ているのではないかな。だから、「子どもへの接し方の悩み」・「しつけのノウハウ」に関する出版物は昔も今も売れています。

けれども、これらを手にとってみると「子どもにもっと配慮しなさい、だが、しすぎてはいけない。」とか「子どもを放任してはいけない、だが、もっと自由にさせなさい」など矛盾し当惑させるメッセージが多いです。このような”加減”は料理番組で言っている”塩少々”と同じく、本人にしかわからないのではないのかなと感じています。さらに、マスメディアの飛躍的な進歩により家族の多様性の可視化と、膨大な育児情報のたれ流しが追い打ちをかける。ようするに、親子関係が悪化しているのではなく、外部環境の変化によって見え方が違うだけではないでしょうか。

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★高田梅

子育てのどこかの時点で悩みや不安はありますが、それがそのまま深刻な結果になることはまれですよね。専門家のメッセージと良好な距離を保ちながら、自分なりの”塩少々”を身につけることができれば理想的です。

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★夜の自主勉強

明日は七夕です。みなさんはどんなことを願いましたか。

私は、「すてきなパパになれますように。」

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